自殺について
自殺について、よく考える。
「自殺はいけないことだ」
「魂を無駄にしてはいけない」
「生きたくても生きられない人もいる」
こんなふうに、よく聞きますよね。
中でも、多くの人が気にするであろうことは、
「周りの人を悲しませるから、だめ」
ということだと思う。
だけど、もし親しい人が、
苦しんで苦しんで何とか生きてる場合と、
自分の望み通りに死ぬ場合、
どちらがいいかって考えたら、
後者なんじゃないかなあって思う。
もちろん、幸せに暮らしてくれるのが一番なんだけど。
原因にもよるけど、
自殺した人の家族や友達が、
あまり悲しまずに、
「やりたいように出来たんだね」と
認めてくれるようになったら
いいなあとか、考えます。。
あとは、方法で、なるべく迷惑でない方法があればなおいいけど。
私の考えは多分マイナーなんだろうけど、
人ってみんな違って、みんなが分かり合えるものではないから、
こういう考えがあっても、いいよね。
自殺が認められる世界になってほしいよ。。
おそまつさん見た
おそまつさんの9話を見た。
そしたら、憂鬱になっちゃった。
とてもいい話だったんだけど、
やっぱり、十四松には、幸せになってほしかった。
死後の世界っていう推論で考えると、尚悲しい…
後日談がどこかであるといいなあ!
あとチビ太のおでんは汚いのな笑
カラ松のやりたい事まっとうじゃん!クソ松なんかじゃないよ!
とにかく、後半の話がシリアスで、憂鬱になってしまい、眠れなかった…
眠らないと…
久しぶりに(2012年9月15日)
アメブロから。最後。
「久しぶりに」
ブログを久々に更新。
なんだか、思っていることを書き留めたくなった。
私は10月から休学することにした。
ずっとだらだら来ていても仕方がないと思った。
論文が読めるようになっても、長時間座ってられるようになっても
やりたい研究なんて思いつかなかった。
むしろ、この研究室で研究すること自体に、漠然とした嫌悪感があって
…違う。
そんな私自体に、とうの昔に嫌悪感があったんだ。
私を好きになって、生きることを決めないと、この先何もできないと思った。
だから、休学を決めた。
前期には、ボランティアをさせてもらったりしたけど、
やっぱり自分には、対人恐怖や自分を過度に卑下するところがあって
そういう点が、私を社会から遠ざけているんだと感じた。
だから、これから、まずカウンセリングを受けることにした。
きっと病気なんかじゃなくて、これは私の性格、気質で、
でも私はこれをどうしても治したい。
そうでなければ、私は自身のお腹にいずれ包丁を刺してしまいそうだから。
あの衝動が、起きないようにしないと、 ううん、起きないようにしたい。
そのきっかけに、少しでもなればと思った。
昨日、その1回目を受けた。次はいつになるのかなあ。
どうか、少しでも、効きますように。
学校は、今日も休んでしまった。
どうせ行っても何もすることはないし、
むしろ汚い感情に浸されるだけだから。
妬みとか嫉妬とか、疲れとか怒りとか寂しさとか。
それは自分が感じたり、人がそう感じているのを感じたりで。
嫌なんだ。漠然と、誰にも会いたくない。
誰にも会いたくない。
会ったら、最終的には自分を見失うよ。
どんどん嫌いになっていく。
どんどん、分からなくなっていくよ。
早く、確立させないと。
怖いよ。
ごろごろしてばっかり(2012年1月6日)
アメブロから。
「ごろごろしてばっかり」
今日はずっと布団の中にいた
布団から出ると、現実の嫌な事と向き合わなきゃいけなくて
不安な考えや恐い考えが浮かんで落ち着かないから
ずっと出よう出ようと思うのに、恐くて出られなかった
年末年始も布団の中にいることが一番幸せだった
寂しがりなのに、親のいるリビングより、一人の何もない個室で
ずっとごろごろしているのが一番幸せだった
ずっと布団の中にいたい
お風呂にも入りたくない、歯磨きもめんどくさい
ご飯を食べるのもめんどくさいし食欲がない
何も視界に入らない、閉鎖された空間でぼーっとしていたい
今日から研究室に行こうと思っていたのになあ
本当にごめんなさい
明日はちゃんと行こうと思います
まずはリハビリのつもりで
先生とも、みんなとも、話をつけないといけないしね。
薬を飲むこと、寝ること、洗濯すること、
これだけをとりあえずは何とかできればいいかな。
どうか昔の、高2のころの私に戻れますように